{Interview}
SHINBIを究める
染め職人
石塚 久美子さん

新しい世代にも
伝統工芸を残していきたい

130年以上続く石塚染工は、昔ながらの染め方で江戸小紋を伝え続ける希少な存在。
東京・八王子の工房には、高い技術が必要とされる江戸小紋に魅せられ、職人としての技を磨く五代目・久美子さんの姿がありました。

伝統工芸の江戸小紋を今に伝える。

石塚染工は明治23年に小田原で創業しました。途中、今の八王子に移り、江戸小紋を始めたのは三代目にあたる祖父の頃からです。江戸小紋とは、遠目には無地に見えるほど細かい柄を型染めで染め上げたもので、武士の裃(かみしも)に用いられてきました。江戸時代、幕府による贅沢禁止令のため華やかな着物が着られなくなると、一見地味なのに近づくと柄が見える、粋なおしゃれを楽しむ江戸の町人たちの間で江戸小紋が流行り、発展したと言われています。「鮫小紋」や「行儀(ぎょうぎ)」「うさぎ」「きつね」など、江戸小紋にはいろいろな柄があります。うちのように伊勢型紙で型付けを行う工房は多くはないんです。

左から「錐輪環(きりわかん)」「錐(きり)うさぎ」「きつね」柄。久美子さんならではの鮮やかな色づかいが人気です。

伊勢型紙。和紙を重ね柿渋で貼り合わせた地紙を彫ったもので、写真はうさぎ柄の錐彫(きりぼり)。

生地に伊勢型紙を置き、駒で防染糊(ぼうせんのり)を置く「型付け」作業。柄の継ぎ目を合わせるのも難しく、一反型付けするのに型紙送りを数十回繰り返します。

防染糊が付いた黒い部分が、染めると白く染め残されます。

どんな柄でも
染められるようになりたい。

江戸小紋は柄が細かいほど難しくなります。「極鮫(ごくさめ)」や「縞」など、江戸小紋の中でも特に難しいとされる柄を染め始めたのは四代目となる父の代からです。「型付け」も染めた後に型のつなぎ目やムラを直す「地直し」の作業も、難しい柄ほど高度な技術が必要になるため、染められる職人は少ないです。私は職人になって11年経ちますが、まだ「完璧だ」と思えるまでには至っていません。好きなだけ時間をかけられるのであればできるかもしれませんが、納期もありますし採算がとれなくなってしまいますから。父は器用ですし、仕事が早い。私も父のようにどんな柄でも染められる職人になりたいです。

日本の伝統工芸士に認定されてる父・石塚幸生さん作の「手綱(たづな)」。斜めの縞は型紙を合わせるのが難しい。

父・幸生さんが「地色直し」の作業をしているところ。地色に合わせた染料を塗り、型紙のつなぎ目やムラを目立たなくさせます。

伝統を守りながら新しいことにも挑戦。

工房での仕事は、雑用からスタートでした。着物の需要が減っていますから「本業としてやっていくのは難しい、趣味程度にしておけ」というのが父の考えでした。それでも父の代で工房を終わらせたくない一心で、2年間勤めたアパレル会社を辞めて、収入を得るために外でアルバイトをしながら、工房で小さな手ぬぐいを作ることから始めました。浴衣や和装小物など、初代梅次郎の屋号を使った「形梅」ブランドを設立して販売し、染め物の仕事で稼げるようになって初めて職人としてのスタートラインに立たせてもらった気がします。
とても珍しいことなのですが、柄も色も自由に染めてほしいというオーダーをもらったことがあり、それをきっかけに自分が素敵だと思える色で染めることや、型紙を裏返して使ってみたりコラージュっぽい柄にしたりなど、新しいことにチャレンジする勇気がわきました。これからも着る人を想像しながら、その人が格好良く、素敵に見える作品づくりを続けて、着物がより多くの人に長く愛されるといいな、と思います。

新しい色を作るときは、染料の配合を記した過去の色見本からイメージに近い色を探し、そこから微調整していく。

反物の素材ごとに何種類もの染料から色を選び、配合する。

色の配合が決まったら、もち粉と米ぬかでできた糊に溶かした染料を入れよく練ります。一反分の地色は1.8kgあり、練るのも力仕事。

色調整用に色別に溶かした小鍋がスタンバイ。

江戸小紋以外の染め物も手掛けています。写真は久美子さんオリジナルの柄「千波万波(せんぱばんぱ)」。日本画の経験を生かし、自身で図案を作成。伊勢型紙の職人に型紙を作ってもらいました。

〈PROFILE〉

染め職人
石塚 久美子さん

明治23年創業の石塚染工の五代目。女子美術大学で日本画を学び、卒業後はアパレル会社に就職。ファッション好きで2年間接客した経験が、今の仕事に生きているそう。SNSを活用し、伝統工芸の魅力を積極的に発信。二児の母でもあり、職人と家庭を両立している。

伊丹 小百合さん

BEAUTY LIBRARY

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